張郃×馬謖

張郃×馬謖 張郃×馬謖

張郃×馬謖
228年に諸葛亮は北伐のため戦略上の要所である街亭の守備を馬謖に命じた。諸葛亮の狙いは道筋を抑えて守備を有利にするというものだったが、馬謖はそれの命を背き山頂に陣を敷いてしまった。その結果張郃らに水路を絶たれ山頂に孤立し、馬謖は惨敗した。このことを重く見た諸葛亮は涙しながらも馬謖を処刑し、これが後に「泣いて馬謖を斬る」と呼ばれる故事となった。
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