李厳

李厳 李厳

李厳
元々は劉璋配下に居た李厳だったが、213年に劉備に降伏後は諸葛亮らとともに蜀科の制定に尽力したという。劉備の死後も諸葛亮とともに北伐へと参加し、有能な人材の調達や戦場での功績を讃えられみるみる出世をしていった。しかし、諸葛亮に対しては良い気は持っておらず、北伐撤退の責任を諸葛亮に押し付けようとしたがその嘘が暴かれ結局庶民へ降格となった。
もどる