張角・張宝・張梁

張角・張宝・張梁 張角・張宝・張梁

張角・張宝・張梁
その信徒は八州に亘り、数十万に及んだという太平道を興した張角。自ら「天公将軍」を称し、後に黄巾の乱と呼ばれる反乱を起こした。弟である張宝に「地公将軍」、張梁に「人公将軍」の称号を与えて軍の指揮をとらせた。膨大な数の信徒の力に加え、張角が修行の末に会得した妖術で官軍を苦しめたという。
もどる