馬騰・韓遂

馬騰・韓遂 馬騰・韓遂

馬騰・韓遂
後漢への忠義に篤く、反董卓連合に参加して劉備たちとともに戦った馬騰と西方の州で名を上げてから幾度となく中央政府に乱を起こした反乱の士である韓遂。馬騰と韓遂は意気投合し、義兄弟の契りを交わし友好関係が長く続いていたが涼州を巡って二人は対立し、韓遂は馬騰の妻子を殺害するほど険悪な関係になったが曹操の命により鍾繇が仲裁に入って両者を説得して馬騰と韓遂は和解することとなった。
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